06年度の教科書検定で登場したのは
高校 数IIの「漫画教科書」だ。
かねてから数学の教科書に関しては
「行間」を埋める言葉、「教え」が
欲しいと思っていた。
そこをマンガの会話で補う「導き」は、あたら
数学嫌いを増やすことを防ぐ一助となるだろう。
しかし、文科省の教科用図書検定調査審議会の
検定意見で、半分が削除されてしまったという。
曰く、何故、教師役が何を意図として、この様な
発言をするのか理解し難い」のだそうだ。
その些細な会話はマンガ表現を通じて
数学を思考する中での微かな憩い、癒し、
1/fのゆらぎ、とでも言おうか、
教える側と教わる側の心の結束を表現した
ささやかなギャグである。
それを「理解し難い」お歴々がこの国の教育の
舵をきっているのだから、所詮、「ゆとり」の
ある心の教育なんぞ端から無理だったのだ!
この一件でハッキリしたのはマンガを読むにも
きちんとした作法や文法力が必要であること。
それを読まないのではなく「読めない」、
読解力不足の人間も沢山いるのだということ。
僕が子供の頃は「アニメ」という語に市民権はなく、
紙媒体のマンガもTVの動くマンガもごっちゃに
されていた。
TVマンガの世代とアニメ世代には大きな断層が
あると思うのだが「漫画教科書」とする
「漫画」の世代と「マンガ」世代との
溝も深そうだ。
教育とは相手があって成り立つこと。
「人を見て法を説け」は自明の理だろう。
「今」という「子供」「少年」を理解するには
こうした脳硬直は毒にしかならない。
何より、そうした「理解し難い」側こそが
「学び」を放棄してしまっているのだ!
そうした無理解、無能、不勉強を恥じる事なく、
胡坐をかいた上からの声はどこまでも空疎だ。
未だに早稲田や東芝に侘びを入れることもなく、
ドラフト指名を阻害した横浜ベイスターズへの
保障もしない西武ライオンズ。
ぞろぞろと出てくる不祥事、悪事に
「遺憾」を示す、社長の言も人事なら、
その社長が球場でファンへ謝意を表した時、
反対、抵抗を示したライオンズ選手会も
まるで人事のようだ。
無自覚な浮世離れは性質が悪い。
「笑われてくれている」「笑わせられてる」
芸人の力量も知らず、バカにして
「笑っている」から「笑われてしまう」。
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