2007年4月12日木曜日

Pumpkin Head pt.1

「唐茄子屋」という噺があります。
遊びが過ぎた若旦那が人間をやり直す為に、
おじさんに仕込まれた職業が唐茄子屋。

棒手振りも掛け声も覚束ない若旦那が、
人の情に触れ、売れ残った最後の唐茄子と
その日の売り上げを貧しい母子に、
そっくりあげてしまいます。

帰宅した若旦那の言い分を疑ったおじさんは
若旦那を連れて下町の長屋に乗り込み、そこで
若旦那からの施しを因業大家に取り上げられて
絶望したおかみさんが命を絶ったことを知るのです。

その後の痛快な若旦那の啖呵や暴れっぷりは
割愛するとして、常々、疑問に思うことがあります。
人が住まいを借りる時の礼金、敷金というやつですが、
こんな場面を想像してみてください。

礼金、敷金もたっぷりと支払った店子と、
それが雀の涙か、月々の家賃で精一杯の店子が
いたとします。
それぞれの家に同じ年頃の子供がいたとして、
大家ってものは片方の子供や家庭には
冷たくあたったりするものでしょうか?

「唐茄子屋」に出てくる様な因業大家が実在するかは
別にして、大家といえば親も同然、店子といえば子も
同然なんてフレーズは古典落語の中でしか
生き残っていないものでしょうか?

長年のしきたり、習慣、因習だのと業界の常識家は
言うのでしょうが、それを外国人に理解してもらうのは
一苦労なのではないでしょうか?

古書店の敷居の高さ、本を売るときの、少しの
後ろめたさや恥ずかしさを完全に払拭、
見事にコンビニ化して成功を収めた
本の再販チェーンがあります。

そうしたイメージ改革ではないですが、
この際、礼金だの敷金だのもすっかり全廃して
透明感のある契約にしてはどうでしょう?

日本のプロ野球界も長年のしきたり、因習を
すっかり撤廃する時期に差し掛かっています。
どうせ守られない業界内の「示し合わせ」なら
この際、礼金、敷金ならぬ契約金の撤廃は
どうでしょう?

海のものとも山のものともわからない選手に
億の金を支払うよりも、チームに貢献し、
最大のスポンサーであるファンに明日の活力を
与えた選手に報いる方が先でしょう。

そして、夢破れ、球界を去る身となった選手に、
その在籍年数や第二の人生をスタートする支援として
人生を賭け、捧げてくれた球団、球界から
慰労、感謝の気持ちを形で示す方がよほど
マシだと思うのです。

(to be continued・・・)


英語学習も「翻訳トラの穴っ!」
http://tora-noana.main.jp
柔軟に対応するレベル別オリジナル教材も
お待ちしています☆☆☆

「翻訳トラの穴っ!携帯版サイト」
http://k1.fc2.com/cgi-bin/hp.cgi/tora-noana/
See Me, Feel Me♪

0 件のコメント: