2008年11月9日日曜日

Easy Go....

さて、言外の了ともいえる繊細な瞳の表情や体躯の力感等、

絵を描く者の技量を駆使して、微妙な心の襞や

十代の蹉跌、日常の喜怒哀楽を丹念に描いた作品と。



当代売れっ子作家の過去のヒット作を寄せ集めて、
切り貼りしたかのような形骸化した作品と。


丁寧な心づくしの一皿と、化合物だらけのジャンクフード。

こうした対比のごとき2作品ですが、


熱心な?マンガファンのサイトを覗き見ると、

評価は真っ二つ。


前者への評価として、驚いたものには
「脚本家をつけろ」「よくわからない」。

後者の評価は「パンツがたくさん見えて良い」
「○○までバンバン見せてくれるから好き」。



嗚呼、良質なジュブナイルとも言える作品は

一頃の小室系のような商業主義の権化、

美学なきフランケンシュタインの後塵を拝していたのです。


粗悪なコピー品の後者への批評ならいざ知らず、

前者への「脚本家を付けろ」の批判には唖然忘ぜん。



サザンオールスターズのよく咀嚼されたメロディが、

(例えば「TSUNAMI」等、初めて聴いても初めての気がしない・・・

ぶっちゃけ過去の拡大再生産であっても)

「難しくてカラオケで歌えない」との声に

驚かされたことも思い出しました。



小室系しかり、パンクロックしかり、単調なメロディに
飼いならされたカラオケユーザーの耳・・・。



同様に単純なお約束展開や構図、見りゃ解るの羅列に、

そして少女の裸体や下着に群がる少年の嗜好。



さらに驚いたことにこの天と地ほどの開きのある両作品を
掲載してきた雑誌編集部は前者をあっさり切り捨てたのです。



雑誌の売れ行きが凋落の一途を辿っているのは既知ですが、

読み手を育てる志もなく、大衆迎合のみに走れば、

己の首を絞める未来はすぐそこです。



文章読解、行間を読む、人情の機微を伺うetc.

日本語が、その複雑さと引き換えに内包する優れた機能は

廃棄され、残るのは煩雑さのみ。


そしてその難度に対応出来ないIQは内容の乏しい、

心ないコミュニケーションを表層的に繰り返すのでしょう・・・。



日本語という「言語」の機能、
表裏一体のパフォーマンスについて

家庭も学校も、もう一度、きちんと考え直す時は
とっくに来ているように思います。



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テスト後こそ勝負だ、受験生!

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