さて、言外の了ともいえる繊細な瞳の表情や体躯の力感等、
絵を描く者の技量を駆使して、微妙な心の襞や
十代の蹉跌、日常の喜怒哀楽を丹念に描いた作品と。
当代売れっ子作家の過去のヒット作を寄せ集めて、
切り貼りしたかのような形骸化した作品と。
丁寧な心づくしの一皿と、化合物だらけのジャンクフード。
こうした対比のごとき2作品ですが、
熱心な?マンガファンのサイトを覗き見ると、
評価は真っ二つ。
前者への評価として、驚いたものには
「脚本家をつけろ」「よくわからない」。
後者の評価は「パンツがたくさん見えて良い」
「○○までバンバン見せてくれるから好き」。
嗚呼、良質なジュブナイルとも言える作品は
一頃の小室系のような商業主義の権化、
美学なきフランケンシュタインの後塵を拝していたのです。
粗悪なコピー品の後者への批評ならいざ知らず、
前者への「脚本家を付けろ」の批判には唖然忘ぜん。
サザンオールスターズのよく咀嚼されたメロディが、
(例えば「TSUNAMI」等、初めて聴いても初めての気がしない・・・
ぶっちゃけ過去の拡大再生産であっても)
「難しくてカラオケで歌えない」との声に
驚かされたことも思い出しました。
小室系しかり、パンクロックしかり、単調なメロディに
飼いならされたカラオケユーザーの耳・・・。
同様に単純なお約束展開や構図、見りゃ解るの羅列に、
そして少女の裸体や下着に群がる少年の嗜好。
さらに驚いたことにこの天と地ほどの開きのある両作品を
掲載してきた雑誌編集部は前者をあっさり切り捨てたのです。
雑誌の売れ行きが凋落の一途を辿っているのは既知ですが、
読み手を育てる志もなく、大衆迎合のみに走れば、
己の首を絞める未来はすぐそこです。
文章読解、行間を読む、人情の機微を伺うetc.
日本語が、その複雑さと引き換えに内包する優れた機能は
廃棄され、残るのは煩雑さのみ。
そしてその難度に対応出来ないIQは内容の乏しい、
心ないコミュニケーションを表層的に繰り返すのでしょう・・・。
日本語という「言語」の機能、
表裏一体のパフォーマンスについて
家庭も学校も、もう一度、きちんと考え直す時は
とっくに来ているように思います。
英語教育も「翻訳トラの穴っ!」
http://tora-noana.main.jp
「穴」を見つけたら勝ったも同然!
「翻訳トラの穴っ!携帯版サイト」
http://k1.fc2.com/cgi-bin/hp.cgi/tora-noana/
テスト後こそ勝負だ、受験生!
0 件のコメント:
コメントを投稿