先日、車を運転していてさしかかった交差点。
時間は23時頃、飲食店が散在する地域です。
法廷制限速度で走る習慣を身につけてから1年。
それまでの僕は「制限速度なんて守ったら車の
『流れ』に迷惑だし、警察だって、そうキッチリ
取り締まるわけじゃないんだから、制限速度以上で
絶対走る教」の教徒でした。
そして同時に制限速度を遵守するドライバーを
とんだ迷惑者だと思ってきたのです。
その交差点に差し掛かった僕はゆっくりと直進...、
そこへ一時停止を無視し、制限速度を20キロは
超過したワゴン車が突進してきたのです。
ブレーキ音と摩擦の臭いが静寂に戻りかけた頃、
僕の背中には滝の様な汗が噴出し、足はフワフワと
力が入りませんでした。
運転席側からあの速度であのサイズの車に直撃されて
いたら、僕は今日を迎えることはなかったでしょう。
向こうの暴走とこちらのノロノロゆえに
間一髪助かったのかもしれません。
しかし、そもそも、彼の速度や法令の違反がなければ
この危険自体が存在しなかったものです。
それぞれの道の法定速度には意味があります。
道幅、道筋、交通量、歩行者の質。
不意の危険を回避し得るギリギリの速度が
法定速度、制限速度なのだと思えば、
それを無視して走る人間は、数分、数秒を
惜しんで、自他の生命を闇雲に危険に
晒していることに他なりません。
「車を自分のもう一つの部屋にする」
という提案型のCMから、自動車とその周辺の
ビジネスが活気付いた歴史がこの国には
あるのだそうです。
しかし、スーパーウーファーの低音を轟かせずとも
自宅より数段大きな音量で流れる音楽や、
地デジテレビ機能付きのナビや勇ましいエンジン音、
そして本来のロードノイズで
二重、三重に目隠し、耳栓をされて、
危険の察知や回避が可能なのでしょうか?
無灯火でインナー型ヘッドフォンで音楽を耳に
直接流し込み、視線は携帯の画面に注いだ
「神風特攻隊」の自転車達は、運転者諸氏の
日常生活を奪わんと、虎視眈々、
あちこちの路地からあなたに狙いを定めている、
かも知れないのに...。
点検不備のジェットコースターで落命した
犠牲者の方にはお気の毒ですが、
自分の生殺与奪の権を他者に全て委ねて平気な
自転車の群れや、「絶叫マシーン」に行列をなす
姿は「平和ボケ日本」の象徴のように
見えてならないのです。
危機管理、なんて大げさに考えなくても
「当たり前」のことが当たり前に出来ていますか?
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☆テスト終了組もこれから迎える君も、
ネットで英語学習はいかがでしょう?
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新学期、新学年、まだまだ新規巻き返し!
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