少し前のことですが、ある洋楽歌手の
歌詞について、意見を戦わせておられる
方々がいらっしゃいました。
その歌手は作詞、作曲を自らこなす
著名な米国人男性です。
「勉強」をさせて頂こうと皆さんの
遣り取りを拝見していたのですが、やがて
違和感が生じてきてしまったのです。
目前にある歌詞についての言及。
文法事項の考査は結構なのですが、
その「人」についてはあまり触れられて
いないようでした。
生まれた時代、地域、影響を受けたもの、
作品の創作された社会背景...。
そうした諸々を抜きにして、その人間の
発した「思い」を多言語に移すことは
できないのではないでしょうか?
これは勉強で躓いた学生にも同じことが言えます。
例えば数学であるレベルの問題が
解けなかったとします。
すると大概の学生が同レベルの問題や
その周辺をうろちょろして時間を浪費するのです。
ボタンの掛け違いで躓いたのなら、
首尾よく解ける場合もあるでしょう。
しかし、それと同じぐらいの確率で
解けない可能性も内包したままです。
1件の重大事故の背後には29件の軽微な事故があり、そしてその背後には事故には至らないものの、冷っとした300もの事例があるというハインリッヒの法則。
この演繹性を避けるには、やはりその単元の
冒頭から再スタートすべきなのです。
思考のフェアウェイから少しずつずれていく
勘違いの誤差を再認識しながら前進出来るのが
この方法の魅力。
その場凌ぎの対処療法ではなく
抜本的な改善策を講じることこそ
ベターな学習法だと思います。
「急がば回れ」とはよく言ったもので、
一見して「有益」と見えないものを
「無駄」と決め付けたり、そのものの背後に
潜む価値を見つける努力を放棄して、烙印を
押したりするのは残念ながら愚者の結論と
言わざるを得ないのではないでしょうか?
あぁ、そんなのやっても無駄!
とやる前に決め付けられる程の知性や教養、
経験を持ち合わせる人間はそう多くはないということ。
そして「知れば知る程、知らないことの多さが
みえてくる」ことを肌で知っている人間なら、
それは取るべき態度ではないということでしょう。
僕なんか、実は単元の最初からリスタートしないと
その子になっての数学指導なんて出来ませんもん。
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↑夏に跳躍しましょう!!
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