「絶対に」とか「必ず」という言葉を
極力、使わないようにしようと思う。
だって、それは大概、無根拠な単なる修飾だから。
「それを使えば使うほど、その人間の幼稚さが知れる」
と、どこかで読んだから。
無駄な力みがバカらしく、嘘くさく思えるから。
でも、敢えてその禁を破るのなら、
駆け足で一生を終えたあの子が、
最後に漏らした吐息はきっと…
「ママ・・・」だったと思う。
もう一度、その優しさ、温もり、愛に
抱かれたいと願ったことだろうと思う。
生に執着して、未練を残して去っていって
くれたことと思う。
思い残すことはなく...なんて枯淡の域に
達しようも、その必要もない夭逝は、
だから、時空を超えてママのいる部屋に
物音と体臭を伝えたのだと思う。
「さよなら」を言いに来たんじゃない。
生きたくて、ただ必死で逢いに来たのだ。
好きだから、嬉しかったから、優しかったから。
ただ、ただ、どうにも動かない体を
残しても逢いにきてしまったのだろう。
僕らは今日も笑って話す。
極力、笑って話す。
あの子の話はまだちょっと出来ない。
いつか自然に笑って、善良な思い出として
語れる日を迎えなければならない。
それが残された僕らの義務。
それが残された僕らの愛。
だから、今日も周囲のみなを
有限の出会いを慈しもう。
あの子から貰った置き土産。
みんなでわけよう、少しずつ…。
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「穴」を見つけたら勝ったも同然!
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追い込むか、撤退か?
分水嶺、分岐点の秋!!
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